その国では耳を隠す習慣があった。好きな者同士でしかお互いに耳を見せ合わない。男性も女性も耳を頑なに隠し、隠していることに違和感さえ感じていないように生活していた。

特に男性は思春期を迎えると女性の隠されている耳を見たくて見たくてたまらない気持ちになった。夜な夜なネットで「耳 画像」と検索し興奮、DVDの耳のモザイクを取り去ることばかりを考えて生活していた。

しかしあるひとりの男は思い立つ。「果たしてこのまま耳のことばかりにうつつを抜かしていていいのだろうか」と。こんなことではいけない、と耳の欲望に打ち勝つ為に男は一人山にこもる。

何日も何日も山に篭もり時には生命の危機さえ感じながら男の耳に対する煩悩への戦いは続く・・・そしてその時はいきなり訪れた!!雷に打たれたように!

何もかもが見通せるような万能感とすべてと繋がれるようなそんな幸福感・・・そう彼は苦しい修行により真理に到達した。

そして「耳」を見た。そして彼は思う。

「何だこれは。ただの耳ではないか」と。

夜中に暗闇の中興奮していたあの「耳」ではない。ただの耳だと男は気がつく。

真理を得た男は山から降りた。ちまたは相変わらず「耳」に興奮を隠しきれない男女ばかり。「耳がただの耳であるとみんなに教えてあげなくてはならない!そしてこの幸福感と万能感の中煩悩から自由になるのだ」と男は使命感に燃える。

男は片っ端から教えを説くだろう。「あれはただの耳だ」と。そして「あのエッロエロの耳に対してあんなに冷静にいられるなんて、マジすげえ!!」と若者が男を教祖として祭り上げるかもしれない。「新 耳教」の誕生である。

「新 耳教」では毎日教祖(男)の教えを声を張り上げて叫ぶだろう。そしてある者は教祖の教えを書物にまとめ普及活動に勤しむだろう。
男の教えを理解した若者たちは口々に「耳なんてただの耳だ!」と叫び自らが真理に到達したかのように振る舞い出す。

だがそこの舞い込む一冊の無修正「ネット裏耳画像」の写真集~!!

若者たちは顔を真っ赤にしながらその写真集を取り囲み、やがて奪い合い話し合い夜中にみんなで見るために家の軒下に隠す。
とまあここまで長々と物語を書きましたが、、つまり何を言いたいのか?と言いますとな。

「真理を体感して得た」ことによる実感と「真理というものはこういうものだ」という教えを知るということにより得る実感はまるで違うということなのだ。

夜中部屋でこっそり無修正「ネット裏耳画像」をみんなでヨダレを垂らしながら見ていた若者たちを見て、男はその事実を知る。
「あれただの耳なのに・・・」

こんな感じの仏教やインド哲学の話に興味がある人!!この本↓ 面白かったよ~❤分かりやすいしなんせ面白い!笑える哲学書です。

 

 

 

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